チャットモンチーと女子たち
こんばんは。
春ですね。風も強くて、桜も散ってしまって
あとはなんですか。花粉症ですか。
この暑くなるまでの期間って、なんなんでしょうか。
何を着ていいかわからない感じ。苦手です。
ところで、今年の夏に
チャットモンチーが完結しますね。(完結=解散の意)
久々に、全部のアルバムを聞いてみたんですよね。
最近聞いていなかったなぁと思って。
まず、私はチャットモンチーと中学生のときに出会ったんですね。
15歳。中3、多感な時期です。青春ど真ん中。
文化祭で友達とコピバンとかしちゃって。
「橙」を演奏するも、あのサウンド感が出せずに寒い空気になった経験があります。
そして、シーブリーズのcmで「風吹けば恋」がTVから流れました。
当時好きだった人への気持ちを乗せて、口ずさみ、頬を赤らめました。
高校生になり、軽音楽部に所属し、「シャングリラ」と「風吹けば恋」コピーもします。
当時発表されていた楽曲たちは、私の日常にすんなりと馴染み。登下校などのふとした瞬間に一緒にいてくれたのです。
しばらくして、ぜんぜん聞かなくなってしまって
最近のアルバムを聞くと、あのころの甘酸っぱい感じがなくなっていたけど
それでも、背中を押してもらえるような、共感してくれるような曲にあふれていたのです。
また、改めて初期のころからの楽曲を聞きなおすと
痛いほど青春の生活を思い出すのです。
もう青春が終わってしまったのかもしれない。
はたまた、まだ渦中にいるのかもしれない。
学生から社会人に。
立場が変わってしまったけど、チャットモンチーの曲は確かに私のそばにいるのです。
立場や年齢が変わってしまったのは、チャットモンチーのメンバーも同じで。
そのときそのときの気持ちを曲として発表してくれていたのです。
最初のころと変わってしまったのかもしれない。
けど、それは私たちも同じで、そのときの「今」を映し出しているのです。
だから私はいつも新鮮な気持ちで曲を聴くことができるのかもしれない。
完結しても、思い立ったら音源をまた引っ張り出せば
新鮮な気持ちで聞けると思えるし、当時のことを思い出すアルバムのような存在になっていると思うのです。
まとまりがないけど
チャットモンチーと学生時代、そして、大人になった女の人は
沢山いると思います。
彼女たちが完結という新しい道に進むのと同じで
私たちも、また新しい道を開拓して生きていかなくてはならないのです。
春は、新しい人生に幕開けが多い時期。
来年の春は、また違った気持ちで聞けるといいな。
おしまい。